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富士山参拝


富士山頂で旭日遥拝

平成7年7月に最上稲荷顕修会(最上稲荷教教師の会)の僧侶と一心寺の僧侶、信徒合わせて総勢90名で富士山山頂まで登山し、夜明けに、世界平和祈願会及び戦後50年戦没者慰霊供養会を執り行いました。富士山山頂での大勢の力強い読経と修法は圧巻でした。この時中島法尼は、世界平和、戦没者慰霊のみならず、もう1つ大きな目的がありました。

富士山参拝の1年前の平成6年9月、中島法尼は、法華経勉強会の寺院参拝旅行で青森・北海道に行き、北海道の江差町にある法華寺の日持上人墓碑にお参りしました。お焼香をしようとした時、日持上人のなんとも言えない寂しい気持ちが伝わり、「インドに寺院は沢山建立されているが、自分の足跡を繋ぐものがいない」と言われた様に感じました。中島法尼は、「私は体力もない、お金もない、知識もないので出来かねます」と申しました。すると日持上人から、「やってみないと分からないだろう」と言われ、その言葉に衝撃を受け「ではやってみますが、もし出来なくてもお許し頂けますか」とお尋ねすると、「良い」と言われたそうです。それから、日持上人の足跡を繋ぐ旅の準備が始まりました。


日持上人は、日蓮聖人の高弟六老僧のお1人で、40代で単身一人、静岡県から北海道へ渡り、樺太を通り中国の宣化市まで歩みを進め、消息を絶ったと云われています。日持上人が目指していたのは、仏教発祥の地インド国だったのではないか、と中島法尼は考え、とてつもない計画を立てました。

 中国から、チベット自治区、ヒマラヤ山脈を越え、ネパールに入り、そしてインドに入るという日持上人が志半ばで成就できなかった足跡を繋ぎたいと。然し、それれには過酷な旅が予想されます。諸天善神のご加護が無ければ達成できない、と考えられ、日持上人ご縁の日本国内各寺院と共に、中国、チベット、インド、神々各位にご挨拶をして、その後、65日間の日持上人の足跡を繋ぐ旅を実行に移しました。その初めとして、日本の最高峰である富士山の山頂から世界最高峰ヒマラヤ山神に向いご挨拶をするという目的で、富士山登頂をしました。

富士山頂でヒマラヤの神々にご挨拶

富士山山頂で中島法尼は、日持上人のお気持ちをヒマラヤ山神にお伝えしました。

 
 
 

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